兼務社

当社の宮司が兼務している神社を紹介いたします。倉敷市街地を中心に九社の神社があります。これら兼務神社を当社と合わせ「十社連合」と称しています。

青江神社(あおえじんじゃ)

創 立 平安期
御祭神 五十猛命 / 素戔嗚命 / 金山彦神 / 金山姫神
鎮座地 倉敷市酒津2119
氏子地域 酒津・青江
交 通 JR山陽本線倉敷駅から北西へ2.5km

神社由緒

御祭神である五十猛命、素戔嗚命は吉備穴海、高梁川接点の津の神であり、金山彦神、金山姫神は鎌倉・室町期に栄えた青江鍛冶の守護神と伝えられています。また、平安期には山岳仏教の聖地「福山」山頂にあった福山寺の守護神として、東の一王子権現、西の王子権現(現青江神社)として建立されました。

(酒津)八幡神社(はちまんじんじゃ)

創 立 天暦元(947)年
御祭神 応神天皇 / 神功皇后 / 比売大神
鎮座地 (里宮)倉敷市酒津1115
氏子地域 酒津
交 通 (本宮)八幡山山頂
(里宮)西酒津公民館西隣

(酒津)八幡神社本宮

神社由緒

本宮は高梁川の要衝である河口を占める川嶋の最高峰、八幡山に鎮座され、流域の民を守る神体山として信仰されてきました。天暦元(947)年に八幡大神を勧請しており、同時に海神信仰を強める祭りが加えられています。
※川嶋には古墳群、青江鍛冶の井戸、戦国時代の砦跡など、各時代の遺跡を見ることができます。

(酒津)八幡神社里宮
倉敷市酒津1115

荒神宮(こうじんぐう)※飛び地境内社
倉敷市酒津2739-5





(大内)御崎神社(おんさきじんじゃ)

創 立 天正11(1583)年
御祭神 吉備津彦命
鎮座地 倉敷市大内1062
氏子地域 大内
交 通 両備バス イオンモール倉敷・水江循環線 大内停留所近く

神社由緒

天正11(1583)年9月15日、吉備津神社の艮御崎宮から勧請された神社です。吉備温故秘録付録窪屋群大内郷八王寺村の条に「御崎大明神 八王寺村」とあり、昔は大内千軒町と言われていました。享保(1716~1735年)年中、洪水により大川堤が決壊して、掘れた跡に鍛冶の「鐵くろ」や古井戸などが出土しています。

總神社(そうじんじゃ)

創 立 寛文元(1661)年
御祭神 大己貴命 / 少彦名命
鎮座地 倉敷市水江876-1
氏子地域 水江
交 通 JR山陽本線倉敷駅から西へ2km

神社由緒

当社は従来水江村宮山にあり、水江の産土神、古くは惣堂宮と称されていました。その後、古水江に多くあった小社を池田公検視の際、合併・合祀が行われました。明治末年からの高梁川改修工事により東川から西川に向けて村域を遮断する河道が開削されて村域は二分され、古水江の大半は新河道の水中に没しました。大正15(1926)年4月13日都窪郡中州村大字水江東山から現在の社地へ移転が始まり、昭和4(1929)年9月19日に移転を終えています。

三社神社(さんしゃじんじゃ)

創 立 文久元(1861)年
御祭神 天照皇大神 / 天之菩卑能命 / 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命 / 天津日子根命 / 活津日子根命 / 熊野久須毘命 / 多紀理比売命 / 多岐都比売命 / 市寸嶋比売命 / 素戔嗚命
鎮座地 倉敷市八王寺町52
氏子地域 八王寺
交 通 両備バス イオンモール倉敷・水江循環線 八王寺口より東へ130m

神社由緒

古くは五社権現三社宮と称され、文久年間(1861年~1863年)に摂津国の溝唯城主長谷川家の分家長谷川長三郎がこの地を治めていた当時、領主の祈願所として創建されました。その後、明治4(1871)年に三社宮と改称、昭和19(1944)年10月15日三社神社と改称。
※飛び地境内神社の素戔嗚神社例祭を祇園祭と称し、倉敷三名祭の一つとして数えられています。

(老松)八幡神社(はちまんじんじゃ)

創 立 天正年間(1573~1593年)
御祭神 応神天皇 / 神功皇后 / 仲哀天皇
鎮座地 倉敷市老松町1-136
氏子地域 老松町1、3丁目
交 通 倉敷西中学校から南東へ200m

神社由緒

天正年間(1573~1593年)に宇佐八幡宮から勧請されたと伝えられ、「阿知の里」開拓の始めに創立。民衆からの崇敬が厚く、文化文政のころは大いに栄え、領主池田家の崇敬を受けて、澁江八幡宮と改称されています。
「阿知の松」は天下の銘木(樹下30余坪)としてうたわれ、文政年間時の従三位千種有切郷が「此の里はかくこそあれと永久に立ち栄えゆく阿知の松が枝」と詠った石碑が現存しています。この老松に因んでこの地を老松町と呼んでいるそうです。松は、昭和18(1943)年に松喰蟲の被害に遭い枯損(切り株年輪750年)。

一王子神社(いちおうじじんじゃ)

創 立 慶長3(1598)年
御祭神 五十猛命
鎮座地 倉敷市二日市449
氏子地域 二日市・帯高・加須山・亀山
交 通 下電バス 帯江停留所から西へ徒歩7分

神社由緒

周辺は古来、深く歪曲した多島地域でした。北方には福山があり、平安時代に山岳仏教の福山寺が建立、この守護神として祀られたのが創めであるとされています。合戦の際に灰燼に帰しましたが、慶長3(1598)年に二日市村へ遷座、若一王子権現と称され、駕竜寺が別当となりますが、神仏分離令により神官奉務、現在に至ります。
大棟全体に「水に泳ぐ龍」を浮き彫りに組み立て、龍の握る玉毎に一王子神社の五文字が一文字ずつ彫られ、破風には天狗や鳥天狗がいかめしく乗っているのが特徴です。

稲荷神社(いなりじんじゃ)

創 立 享保18(1733)年
御祭神 宇迦之御魂神 / 須佐之男命 / 大市比売命
鎮座地 倉敷市茶屋町1547
氏子地域 茶屋町
交 通 JR瀬戸大橋線・宇野線茶屋町駅から北東へ600m

神社由緒

帯江沖新田村(現茶屋町)は宝永4(1707)年に干拓工事が完成しますが、同年11月宝永大震災によって壊滅的被害を受けます。享保17(1732)年には享保の大飢餓。続く不幸の直後、享保18(1733)年に稲荷神社は造営されることになりました。本殿には、その時の由来を記した板書が納められ、「苦しむ人々故に我等、今、敬礼を尽くし氏子平安・繁栄を祈る一宇として稲荷社を造営する」と記されています。今は静かな境内にも、苦労の歴史が秘められています。

(帯高)素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)

創 立 明治29(1896)年
御祭神 素盞嗚命 / 大己貴命
鎮座地 倉敷市帯高無番地
氏子地域 帯高
交 通 JR瀬戸大橋線・宇野線茶屋町駅から西へ750m

神社由緒

弘化3(1846)年、京都八坂神社の分霊を勧請し祇園宮と名付けられ、35年後の明治15(1882)年、八坂神社と改称し、更に明治29(1896)年本殿の改修後、素盞嗚神社と改めて現在に至っています(『帯江村史』より)。
祭事は農家を中心にした80世帯程度で行ってきましたが、最近の住宅課の進展で、世帯は300世帯と急増。よりよい祀りの継承に思いを寄せています。

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